あおば法律事務所
水俣病豆知識 昭和52年判断条件

水俣病公式確認

 1956(昭和31)年5月1日が水俣病公式確認の日とされている。これは次のような経緯による。
 この年の4月21日、水俣市月浦に住む6歳の少女が、箸を持てなくなり、歩行障害や言語障害、狂躁状態の精神症状等を呈し、チッソ水俣工場附属病院を受診した。その後、2歳の妹も同様の症状を呈するようになり、さらに近所にも同様の症状を訴える患者がおり、チッソ附属病院に入院することになったことから、チッソ付属病院の細川一病院長が、水俣保健所(伊藤蓮雄所長)に対し、5月1日、原因不明の脳症状を呈する患者4人が入院した旨の報告をした。これが水俣病の公式確認とされているのである。
 実は、水俣病患者は、これ以前からも発生していたことが後日確認されている。熊本大学医学部研究班の調査によれば、1953(昭和28)年12月には,既に水俣病と同様の症状を呈した患者が発生しており、この患者は1956(昭和31)年に死亡していることが認められるが、原因不明とされていたのである。また、人的被害の発生の前には、水俣湾周辺地域では、魚介類の大量死、猫の狂い死に、鳥や豚の狂い死に等の環境異変が発生している。1954(昭和29)年には、水俣市茂道部落で猫が全滅したことから、ねずみが異常発生し、水俣市役所にねずみの駆除を依頼するという問題が発生し、ニュースになっているのである。
 公害問題を考えるとき、人体被害の前に、環境の異変が生じることは重要な教訓であろう。
 ところで水俣病は、チッソ水俣工場の中のアセトアルデヒド製造工程の排水を原因とする公害病である。熊本大学の水俣病医学部研究班は、公式確認のあった1956(昭和31)年11月には、水俣病はある種の重金属中毒であると報告し、チッソの排水を疑う報告をしている。ところが、そのことを国(政府)が公式に認めたのは、1968(昭和43)年9月26日のことであり、公式確認から、実に12年もの歳月が経過している。実はこの政府の公害認定に先立つ4ヶ月前の同年5月には、チッソは石油化学工業への転換を終了し、役割を終えたアセトアルデヒド製造を止め、水俣病の原因となる排水を止めている。チッソが操業停止にならないことが確定してから、政府は公害認定をしたことになる。ここに、行政と企業の癒着,国民の生命・健康より企業利益を優先する体質が現れているように思うのは私だけではないだろう。
 2006(平成18)年は、公式確認50周年の年であった。既に半世紀が過ぎたことになる。それでも水俣病問題は、被害者救済という最も重要な課題すら解決していないのである。

以上