あおば法律事務所
水俣病豆知識 ネコ実験

ネコ実験

 水俣病の歴史では、人が発症する前に,自然界の異変が始まりであった。その中で、ネコがてんかん様の症状を呈して狂死するというネコ水俣病が多数発症した。この自然発症したネコを解剖したところ、大脳や小脳の中枢部に特徴的な病変が認められた。こうした事実を前提に、人の水俣病の原因が何であるかを探求するため、ネコを使った実験が行われるようになった。
 熊本大学医学部の水俣病研究班や伊藤蓮雄水俣保健所長(当時)は、公式確認のあった昭和31年から、水俣湾産の魚介類をネコに食べさせる実験を行い、伊藤蓮雄氏は,昭和32年には自然発症のネコと同じネコ水俣病を発病させることに成功した。これにより、水俣湾産の魚介類が原因であることは明らかとなった。
 水俣病の原因企業であるチッソは、独自にねこ実験を行っていた。チッソの技術部とチッソ附属病院とが中心となり、ネコに様々な餌を与えて実験を繰り返していた。昭和32年頃に始まった実験に使ったネコは、おそよ900匹にもなるという。その中で、チッソの工場排水が水俣湾に注ぎ込まれていた百間口の排水を餌にかけて与えたネコ374号は,1959(昭和34)年9月28日にネコ水俣病を発症した。さらに、チッソの廃液中、アセトアルデヒド工場から排出される廃液を餌にかけて与えたネコ4400号が同じ年の10月6〜7日頃にネコ水俣病を発症し、もう一つの塩化ビニール工場の廃液を餌にかけて与えたネコは発症しなかった。解剖の結果も、ネコ水俣病であることを示していた。
 これによりチッソは、自社工場内のアセトアルデヒド工場から排出される廃液が水俣病の原因であることを確定的に知ったのである。
 ところが,その年の11月30日、チッソ内の研究班会議では、ねこ実験を含む新たな研究はしないこととなった。ねこ実験の中心であったチッソ附属病院の細川一院長は、ねこ実験の継続を訴えたが、会社側から禁止された。また、廃液の採取も拒否されるようになった。
 実は、この1959(昭和34)年7月には、熊本大学医学部水俣病研究班が、水俣病の原因物質として有機水銀説を発表していた。水俣湾に水銀が多量に存在するとすれば、チッソの工場排水以外に原因は考えられなかった。
 これに対しチッソは、同年7月には「所謂有機水銀説に対する工場の見解」を、10月には「水俣病原因物質としての有機水銀説に対する見解」を発表し、有機水銀説を批判・反論している。最も問題となるのは、チッソ自身の研究班によるねこ実験において、チッソのアセトアルデヒド工場排水が原因であることは明らかであったにもかかわらず、この10月の反論書の中では、10月25日までの実験結果をまとめて報告するとしておきながら、ネコ374号は発症せずに衰弱死したと虚偽記載がなされ、ネコ400号については触れられてもいないのである。
 要するに、チッソは自社のアセトアルデヒド工場から排出される廃液が水俣病の原因であることを知っていながら、その実験結果を隠蔽し、あまつさえ虚偽の報告までして熊本大学医学部水俣病研究班による原因物質究明を妨害しつつ、アセトアルデヒド製造工場は稼働するだけでなく、その後は増産に次ぐ増産を続け、それだけ大量の水俣病原因物質を、ネコ400号の実験から約9年後の1968(昭和43)年5月まで垂れ流し続けたのである。この結果、未曾有の大公害となり、被害者もおびただしい数に上ることになったのである。

以上