あおば法律事務所
水俣病豆知識 サイクレーター

サイクレーター[改訂版]

 1958(昭和33)年9月、チッソが,アセトアルデヒド製造工程からの排水路を水俣湾側の百間排水口から、水俣川河口にある八幡プールを経て水俣川に排出するように排水路を変更した。すると水俣川河口付近で魚を捕って食べていた人の中に水俣病患者が発生し、その発生地域が不知火海一円に拡大した。このため通産省(当時)は,1959(昭和34)年10月21日、チッソに対し、水俣川への排水を中止し、浄化槽を設置するよう行政指導した。
 チッソは、この通産省の指導を受け、八幡プールへの排水を停止するとともに、浄化槽として「サイクレーター」なるものを設置した。チッソは、このサイクレーターによって工場廃水は人が飲んでも健康に影響はないほどに浄化されると大宣伝をした。チッソの吉岡社長(当時)は,熊本県知事らを招いたサイクレーターの披露会で、サイクレーターを通した廃水と称した水を飲んで見せた。しかし実際は、ただの水であり、サイクレーターを通した廃水などではなかった。チッソは、そこまでして世間を欺いて見せたのである。
 そもそもこのサイクレーターという装置は、排水中のカーバイト残渣を取り出すだけのものであり、水中に溶けた有機水銀を除去する能力は全くなかった。それだけでなく、実は、アセトアルデヒド工場から排出される廃水は、このサイクレーターすら通されていなかったことが後に判明している。つまりチッソは、行政指導に従った浄化槽を設置したというポーズを取り、その結果廃水はきれいになったと世間を欺いた上で、未処理のままの廃水を、依然と同様に、再び百間排水口から水俣湾に放流しつづけたのである。
 ちなみに,この1959(昭和34)年10月には、チッソが独自に行っていたネコ実験において、アセトアルデヒド工場廃水を餌にかけて与えたネコ400号がネコ水俣病を発症しており、チッソは、水俣病の原因が自社のアセトアルデヒド製造工程からの廃水であることを知っていたのである。その上で、サイクレーターというごまかしを仕掛けてアセトアルデヒドの製造・増産を続け、住民の命や健康よりも、自社の利益追求を優先したのである。
 ところで、通産省が浄化槽の設置をチッソに要請したのは、水俣病患者発生地域拡大の現状を問題視した厚生省(当時)からの要請がなされたからであった。ただ、その要請の真の意味は、公害被害の拡大防止ではなかった。この点について、水俣病第三次訴訟の中で、当時の厚生省の担当者であった実川渉証人は、次のように証言している。

(問)サイキュレーター、浄化槽の設置も、厚生省から通産省に要請したという証言がありましたけれどもその要請の中に、具体的な毒物の除去に必要なこれこれの浄化槽という指示はなされていますか?(答)していません。(問)社会不安を解消するための浄化槽の設置という程度の要請だったわけですか?(答)そうですね。
 この問答から明らかなのは、厚生省も水俣病の発生を防止しようというような観点から浄化槽設置を要請したのではなく、チッソの排水は浄化槽を通して流すようにしたから安全になった、というイメージを社会にアピールし、チッソ排水が水俣病の原因ではないかという社会的な不安の沈静化あるいは追及の矛先を逸らそうとしたということなのである。これは、国がチッソと一緒になって世間を欺き、原因を隠蔽あるいは原因究明を妨害しつつ、水俣病患者が次々と発生し、倒れて行くのを放置したことを意味する。

以上