あおば法律事務所
水俣病豆知識 昭和52年判断条件

昭和52年判断条件

 通称「昭和52年判断条件」と言われるのは、昭和52年7月1日、環境庁(当時)の企画調整局環境保健部長の通知「後天性水俣病の判断条件について」に記載されている公健法による水俣病の行政認定基準のことである。この昭和52年判断条件では、それ以前の認定基準である昭和46年8月7日の環境庁事務次官通知「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」にはなかった複数の症状の組合せ(例えば,感覚障害と運動失調の組合せ)を認定の条件とし、感覚障害だけでは認定されないとして、実質的に認定条件を厳しくしたのである。さらに昭和53年7月3日には、環境事務次官通知「水俣病の認定に係る業務の促進について」(いわゆる「新事務次官通知」)を発し、「水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合」で、昭和52年「判断条件にのっとり」判断するとした。
 国は、認定条件を厳しくしたのではなく、昭和46年通知をさらに具体化したに過ぎないなどと説明するが、昭和46年事務次官通知では一症状でも水俣病として認定するとしていたものを、明文をもって症状組合せを要求しており、内容の違いは明白であるし、実際の認定審査の結果を見ても、この判断条件の設定を境にして認定率と棄却率とが逆転していることからも、認定基準が厳しくなったことは争いようがないであろう。
 実は、昭和52年当時は、昭和46年当時とは大きく状況が変化していた。昭和46年9月29日の新潟水俣病第一次訴訟判決(昭和電工を断罪)に続き、昭和48年3月20日の水俣病第一次訴訟熊本地裁判決によってチッソが断罪され、その年にチッソと各患者団体との間で、行政認定患者には判決と同様の補償をする協定書が取り交わされたことで、認定申請をする者が大量に出てきた。その認定審査が遅々として進まないため、大量の未処分者が滞留していた。実は、昭和50年頃からチッソは既に補償金支払いが困難になっており、もしこれらの認定申請者を広く水俣病として認めて救済対象にした場合、その賠償金等の支払でチッソの経営が危機にさらされることが明らかであった。しかも、昭和48年5月には、いわゆる第三水俣病問題(有明海)が起こり、さらに第四水俣病問題(徳山湾)が相次いで取り上げられ、日本中が水銀パニックとも言えるような状況に陥った。つまり、チッソや昭和電工以外の水銀法電解カ性ソーダ工場(当時全国に49カ所存在)が、公害企業として疑われることとなったのである。この社会不安を沈静化させるには、水俣病問題は終わったとして幕引きを早急に図る必要があったのである。このため環境庁は、水俣病患者の大量切り捨て政策に転換を図り、第三・第四水俣病疑惑をきちんとした調査すらせずに「水俣病ではない」として否定した上で、昭和52年判断条件を設定したのである。それは、医学や公害患者救済の理念とは懸け離れた企業利益優先の発想であった。そればかりではなく、昭和53年6月には、「水俣病対策について」との閣議決定を受けて、チッソの経営危機を回避するため、熊本県がチッソに県債を発行して金融支援をすることとなった。補償金の支払いは、もはや、チッソの問題に止まらず、熊本県の県債負担という形を取ることにより、実質的には熊本県が補償金を支払うようになったのである。すなわち、申請者を水俣病と認定することは、熊本県自身の経済的負担に直結することになったのである。つまり、熊本県としても、財政負担を軽くするためには、国の患者切り捨て政策に荷担するしかなかったものと思われる。
 当然のことではあるが、この昭和52年判断条件とこれに基づく認定審査のあり方については、司法によって厳しく批判されてきた。例えば、昭和60年8月16日の水俣病第二次訴訟控訴審である福岡高裁判決(チッソが上告せずに確定)では、昭和52年判断条件は、「いわば前記協定書(注:チッソと患者団体との補償協定のこと)に定められた補償金を受給するに適する水俣病患者を選別するための判断条件となっているものと評さざるを得ない」もので、「広範囲の水俣病患者を網羅的に認定するための要件としてはいささか厳格に失している」と述べている。さらに「審査会の認定審査が必ずしも公害病救済のための医学的判断に徹していないきらいがある」とまで指摘している。関西訴訟最高裁判決の原審である大阪高裁の平成13年4月27日判決も昭和52年判断条件については同様の判断を示し、感覚障害だけの水俣病患者の存在を認め、賠償請求を認容した。その上告審である最高裁は大阪高裁の判断を是認している。その結果、行政認定制度の中では水俣病ではないとして棄却処分を受ける感覚障害のみの患者が、司法の場では水俣病として認められることになるという行政と司法との二重の基準が存在する事態になった。

 熊本県は、水俣病関西訴訟最高裁判決以来機能停止していた認定審査会を再開させると発表した。しかし、再開される認定審査会で採用される認定基準は、昭和52年判断条件を維持するとのことである。実は、現在の状況は、昭和52年判断条件が設定された当時と似たような状況がある。最高裁判決によって、新たな患者が大量に認定申請をしており、未処分者が大量に滞留している。これを放置すれば、いわゆる待たせ賃が発生することになる。しかも、国際情勢は水銀による人体への影響について、厳しい基準を打ち出そうとしている。日本国内には、水銀を取り扱う企業は多数存在し、その企業利益に影響しかねない。本来であれば、水俣病を経験した日本が、水銀の規制強化に積極的に取り組むべきであるとの批判も強い。その意味では、水俣病問題は解決したとアピールする必要に迫られ、早期に幕引きを図ることが求められているのである。熊本県が再開する認定審査会は、この要請に応えるための水俣病患者大量切り捨て政策の再度の推進でしかないと思われて仕方がないのである。

以上